ひと時の笑いをお届けするhideぼーです。
皆さんの幼少時代は、どんな感じですかね?
ぼくの幼少時代は少し変わってます。
親が『ラブホテル』経営してました。
今回は、ぼくと兄弟のラブホテル物語なので何か為になる話ではないですよ〜〜。
ぼくの体験、経験、兄弟の絆の話し、また親を愛し愛されての話しです。
家族の絆と愛を知りたい方は読んで下さい、必ずあなたは愛されている事に気がつきます。
Contents
ラブホテル経営に至った道筋

ぼくの父と母は、東京で出会い結婚しまて香川県のど田舎に住むようになりました。
父は香川県出身
母は福島県出身
この二人が出会ったのは、東京の眠らない街で出会いました。(もう50年くらい前になります)
昔の考えで、両親が反対で父と母は駆け落ち結婚し東京から名古屋へ行き香川県へ来たと、母から聞いてます。
元々父は東京でカメラマンの仕事をしていたそうで、小さい頃は自慢の様に白黒写真を一杯見せてくれてました。
香川県に、来ても写真関係の仕事をしてましたが、話しに聞いたのは、社長夫人と喧嘩して、辞めたっと聞いてます。
当時まだ、ぼくは、1歳や2歳なので覚えてないです。
仕事を無くした父は、地元のお金持ちさんと思われる人から、話しを聞いて来て。
香川県の東端にある、『ラブホテル』を経営してみないか?
父は考えたのか、どうなのかは今はわかりませんが、ぼくたち家族5人は(父、母、兄、ぼく、弟)香川の端へ、引っ越しする事になります。
引っ越しした先には、先客2人の老婆が雇われで管理していました。
ぼくら家族は、プレハブ生活です。
ホテルの敷地は600坪で、建売住宅が50坪くらいなので、だいたい12倍です。
敷地だけで、まあ広いですよね。
はじめの頃は、老婆2人居ましたが、記憶では半年くらいで居なくなり、ぼくら家族が経営をする事になりました。
ラブホテル生活のはじまり。
三兄弟の日課

なんとて、幼少時代の父はとてつもなく、怖い存在で、頑固一徹です。
わかりますかな?
若い人は知らないかもしれませんが『巨人の星』にでてくる、一徹です。
朝の日課は、庭掃除からはじまり、ほうき、チリトリ、捨てに行く。
この3通りで、じゃんけんで決めます。
普通朝から庭掃除や無いですよね、がしかしこれが日課でこれが普通だと、育ちました。
日曜日は、遊ぶ前に庭掃除と父が木の剪定をした後の、掃除!
まあ掃除からはじまり、掃除で終わりになる幼少時代。
今となっては、ホテル生活で同期からは、どう思われてたんかな?
って思います、聞いた事ないので。
客室の七不思議・4号と9号は無い
ぼくのホテルでは、4号室と9号室はありません。
番号は10号までありましたが、なぜか無いのです。
4号
9号
小さいながにも、なんとなくわかってましたが聞くのがかなり怖くビビってました。
4は死
9は苦しむ
みたいな話し(都市伝説)並みの話。
なので客室は8つ有ります、和室3つ洋室5つ有ります。
ラブホテルなので客は、夜にしか来ません。ほとんど、昼間は空室です。
だいたい、どんな感じかわかりましたか?
料金とシステム・三兄弟がやるべき事
ここで料金を説明します。
30年前の料金システムです。
1時間休憩:1500円
お泊り:3000円
安!
大人向けビデオ(この時代はビデオ)
管理事務所から、流す大人向けビデオ
スイッチがあって、お客様の部屋だけに流す事が出来ます。
また持ち込みビデオも出来、お客様が持ち込みで管理事務所に渡す。
まあぼくら、三兄弟が受け取ります。
料金は無料。
次に、三兄弟の仕事。
- 浴衣のアイロン
- コンドーム二個とティシュ
- タオル小二つ バスタオル
- 歯ブラシ
- シーツ替え
- 風呂掃除
- トイレ掃除
以上七つが仕事!
不思議と思いますよね、なぜに子供それも小学生が仕事するの?
ラブホテルでは、食べて行けない。
ただそれだけでした。
最初の二年くらいは、なんとかまだ食べたり生活出来てましたが、流石に小学生になると、色々お金がかかります。
だから、両親は働きにでてました。
父は朝早くから、漁師したり、会社員したりして、母は夜に近くの『うどん屋』へ働きに行ってました。
なので、ぼくら兄弟は、学校から帰宅すると、手伝いをするのが当たり前の事です。
ホテル番の清掃は、じゃんけん
小学生くらいの時って夜は怖いって思いませんか?
ぼくは、特におとっちゃまでビビりです。
ホラーなんか観た日には、寝れないし風呂も怖い感じになってました。
兄弟の約束事で『じゃんけん』で役割分担をする。
1勝ち抜けは、何もしない。
2勝ち抜けと最下位は、掃除です。
2勝ち抜けは、トイレ掃除と浴衣、タオルを交換!
最下位は、ベッドメイキングと風呂洗い!
大概は最下位が1人最後まで残り後片付けしてから事務所に戻ってきます。
これが怖くて怖くてしかたなかった。
なぜかと言うと、現在のラブホテルみたいに、ビルではなくて、平屋のだだ広い敷地に、客室か1つづつ有ります。
1番遠いところで300mくらい遠くにあります。1週すると600m〜700m有りますからね。
また1番奥の客室は座敷で、本当に幽霊が出そう感じで、怖かった。
何が怖いって、鏡です。
馬鹿でかい鏡や、座敷なら障子襖を開けると鏡!!
めっちゃ嫌やし、誰か写ってるんちゃうかな?思って開いてビビってました。
こんな毎日の生活の日課です、この時はこれが当たり前で普通っと思っていたし、小学生3.4年でした。
夜にお客様からの、1万円で支払いでおつりが無いときが大変。怖い夜道を猛ダッシュし、母が働く、近所の『うどん屋』までいきます。
が!
そこまで行く夜道がとても怖い、外灯もなくて、真っ暗で細道で、両脇には木が茂ってる坂道。ビビりながら行くのですが、やはりここも兄弟ルールで『じゃんけん』で決めます。
ホテル倒産:時代の流れに乗れなかった

小学高学年になり、次第に家の事をするのも嫌になってきてました。反抗期時代到来です。
またホテル事業は、低迷し『室内サウナ』導入したり、しましたが中々売り上げも上がらず厳しくなってきました。
父は、近くの製造会社に就職し給料をもらうように、母は、うどん屋のバイトを遅くまですることになり、常にホテル管理は兄弟3人でやり繰りしていました。
お金は、親が管理し、私たちは掃除や片付けがメイン。
私たちは、子供1部屋無くて、部屋がほしかったので、低迷するホテルの部屋1室を、子供部屋にして、過ごしていました。
ありえないよね。
今でいうなら、1LD(風呂、トイレ付)キッチンは無いのですが、生活できる部屋です、それが子供部屋。
結局は売上伸びなく、オーナーからも、引き際でないかと父は相談があって最終的には、地元の企業に土地を売却し、借金無のチャラで終わり、良かったと思います。
ホテル生活で学んだことは、決して失敗でなっかた。

ホテル経営で、親と兄弟の絆と愛情は、よくわかったし結果倒産しましたが、楽しい思いでしかなっかたです。
両親は、ぼくたちを育てたくて、一生懸命に働いて『笑顔をくれてました。』父は4年前に亡くなりましたが、小さい時の思い出が今もあります。
『ありがとう』
貧乏でお金には、かなり困って辛い思いもしました。
だけど、いつも『笑いがあり、笑えました』笑うだけで前に進める、働くことは好きと言うことは、ホテルの手伝いをしていたので働くのが当たり前な考えでが有り。
労働者な考えが染み付いたのは、視野が狭くなっていたと思います。
しかしブログに42歳から挑戦し、今この記事を書いてます。
苦しみや有り得ない事、普通では無い過ごし方を話すことは、あまり無いし、ラブホで小学生から働いてました。
って言いませんよね。普通に話してたら、引かれるのが落ち。
ブログはそれが出来るし、もしかしたら同じような人が共感するかもしれません。
可能性は0では無い。
そんな思いで書きました。