プロフィール
運命の人との出会い

【すべてに感謝】運命の人と出会い新たに産まれた命・覚悟を決めた時に必ず失う事がある【ありがとう】

ひと時の笑いをお届けするhideぼーです。

妻は1歳年上の徳島県(阿波女)です。

しっかり物ですが、心配性な妻。

妻との出会いは、20年前になります。お互いがバチバチの恋愛なのですが、少し複雑な関係からの結婚です。

恋愛に真面目な人には不快と思う事があるかもしれませんので。

心広い人はお読み下さい。

バイク事故で入院中に出会った運命の人

私は20歳の頃から『モトクロスレーサ』をしていました、バイク好きで刺激と過激さを求めてモトクロスをし四国選手権で四国四県を回る大会に出ていました。

そのレース中で転倒して骨折をして病院へ行き入院しました、そこで介護人として働いていたのが妻になる人でした。

はじめは、何も思わなくて、ただただ良く喋る人と思いそれほど気にならなかった。

最初の出会いは、バイク事故で手が痛いしお茶を入れてくれる時に『ありがとう』くらいの会話くらいで。

手術が終わって、病室が変わってから少しづつ話す事が多くなってきて。

少し距離が近づきはじめ、気になる存在になります。

入院中はコンパと飲み会に、良くいってた馬鹿な俺

入院中は、友達も良くきてくれて、飯行こうと脱走して、居酒屋に行き、帰ったら看護婦さんに呼ばれ怒られるような、私でしたので、病院で入院患者の要注意人物でした、妻が毎朝、hideぼ~さんは良く居なくなるので注意してくださいと看護婦に良く言うわれていたといいます。

手術が終わり、出ていいと思いお酒を飲んだりしていて罰があたり。

神様はいますね・・・。

とても痛い・・・。

酒で痛み倍増・・・。

それならまだしもいいのですが、ある日、看護婦さんから明日hideぼさんは、朝に診察ありますから、よろしくお願いしますと書いた手紙が机の上にありました。

まあ、いつもの治りの経過と思い診察へ。

すると・・・

hideぼさん、今晩からあまり動かないで寝ててくださいと・・・。

なぜ?

先生が言うには全身麻酔の副作用から、肝機能の数字が上がり『劇症肝炎』になる恐れですと言います。

痛みなし・・・。

症状・・・なし

そう肝炎は症状があると、もう遅いとまで言われるくらいです。症状がないのがまだいいことで、この日以来、退院も2カ月伸びました。

 

その日以来、検査し薬漬けの毎日で、診察では回復してないと言うわれ、最終的にベットに隔離され、トイレだけ行っていい行動範囲になりました。

その時に良く、お茶やご飯を持ってきてくれてたのが、妻だったのです。話もこのころから良くするようになり、1日の楽しみの一つでした。

後は、ひたすら寝るしかないので。

ここで余談

人は寝すぎる限界をしると、めちゃくちゃ寝たと思い目を覚ますと・・・なんと一分しか経ってないとなります。

あれほど時がたつのが遅いと感じた事は無い怖い・・・今ならブログが書けるのですが当時は寝るしかありませんでした。

 

 

終わりそうな恋と始まりそうな恋がある。それが運命

私には彼女が居ました、古風な彼女でバイクのレースもついてきたり私のすることに、文句もなく悪い所がない彼女でした。

結婚したのは、別の女です。

あら~!

女たらし・・・

二股・・・・

男としてどうなの・・・・

はい!

二股です。

二人とも好きでした、ここで恋愛には、終わりそうな恋、始まりそうな恋があります。

マンネリ化は終わりそうな恋に近ずく傾向が高い(経験上)

お互いが少し気になる、始まりそうな恋に繋がる(経験上)

恋ですからね、色々あってもいいと思います、今回は上記のように終わりの恋やはじまりの恋で、確かに気になる存在に少しなってきたのは、間違いなかったのです。

この時の私は、モテ期でした、20歳~結婚する24歳までは、女性に困ることなく進み、途切れることなく行けてました。(短いですが4年間モテキ)

ただ非モテない時期が長かったからこの時があります。(非モテない時期・中学~高校まで6年以上)

二股がかぶっていたのは、3か月くらいで中々別れなかったのが、妻にも彼がいました、私もいました、お互い友達の関係が長くなり、お互い終わりの恋から、はじまりの恋になりました。

 はじまりの恋から一つの命が産まれた。

終わりに近づく恋の相手には、嫌いになった訳でもなく、マンネリ化になっていましたが、いい人で私をとても好きで居てくれてました。

じゃあ何故?

はじまりの恋が私を変えたから、どうしても前の彼女と結婚出来なかった。

わがままかもしれませんし、女遊びしてるだけと、思われがちですが。

そこは完全に否定します。

『付き合って好きな人』には本気で付き合います。

だから前の彼女に対しても、真剣に向き合ってました。

別れ話をする時も、真剣向き合い泣くほど辛い思いはしました。

自分は馬鹿やなって思ったし、愛してくれてるから、泣かすのは、男の恥とも思い。

心が揺れましたが、別れました。

一言だけ『ごめん、別れよう』

その後は一切連絡はしない。

なぜなら、自分のわがままで傷を付けた、私より、かなり辛いと思う。

心の傷は、時が過ぎないと治らない。

だから断ち切る。

また会った時、笑いたいから。

あの時何故?っと笑い話が出来る為に、お互い幸せになる為だったと。

そして、はじまりの恋がはじまり、確かに妻は、元カノの事も知っていたので、私がまだ連絡をしてるやろ?

っと心配してましたが、私は一切してないししない。

ゆっくりと距離が近づき、2人で居る事が多くなりました。

半年くらいしてから、妻が生理がないと言い出して、妊娠をしました。

妻は、はじめは子供を降ろすと言ってました。

何故かと言うと、厳しい家系で一人娘で、父親が居ない。

おばあちゃんが育ててくれた感じで母親は、仕事で忙しく。

できちゃった婚は、怒られる。

妻は今まで、育ててくれた感謝を裏切るのが嫌だったと思います。

私は言いました。『この命はこの世に一つ』たかが怒られるだけで、命を絶っていいのか?

妻は泣きながら『嫌、産みたい』っといいました。

私は、なら産もう。俺が守るし、怒られてもいい。

こうして、家族ができました。

 実家のばあちゃんの存在

徳島の田舎育ちの、妻は古いしきたりと、近所の絆が強い集落です。

古き良きもので、真面目に生きて、恥は全ての恥。

私は、妻になってもらう為に、覚悟を決めてばあちゃんに会いたい行きました。

とりあえず無視に会う。

挨拶しても、何をしても、話はしてくれません。

妻は実家で泊まり、私は一人で香川県の自宅へ。

毎日仕事終わりに、行っては同じ繰り返しを3カ月続けて、ある日雪が降り帰れなくなって、妻の実家に泊まる事になった。

朝起きて、仕事に行こうとした時に、ばあちゃんが、ご飯とお汁を作ってくれていました。

一言だけ

『食べなさい』

涙が出るほど、嬉しくて味はわかりません。

ただ嬉しかった。

この後は、相変わらずあまり話す事は無かったのですが、曾孫が産まれてとても喜び、曾孫と笑って遊んでいました。

一昨年94歳で亡くなりましたが、最後は1番好きなプリンを食べて、天国へ行きました。

 全ての縁に感謝の言葉『ありがとう』

妻との出会い、別れ、命の誕生には全ての人と縁があり出会います。

運命的とかあまりよくわからないし、後から考えると、運命なんやったなって思います。

一つ一つに人との縁があり恩があります。

どんなに辛くても、どんなに苦しくても、最後は笑える事が幸せなんだなっと感じます。

私にとっては、全ての人が必要であって今の自分になっています。

悪い事したな、馬鹿だな、怒られるな、人から見たら、最低って思われる事したな。

しかし全て必要だった、笑える為と、成長の為。

だから全てに感謝します。出会えたことと生まれてきたこと、当たり前なことがとても、幸せ。

『ありがとうございました』